待ち焦がれる時

ただのわたくしごと

アイドル

夢見させてくれる瞬間って多くある。
いや、私たちはいつも夢の中にいさせてくれているのかもしれない。
彼らが与えてくれるものってなんだろうって少し考えた。
きっとそれは一言では言い表せなくて、深く大きく重いものなんだろうと思う。
私たちにとって彼らがなぜ必要不可欠な存在なのか。
それは単純に好きだから、それと人間的に尊敬しているから、とかいう理由だと思う。
“好き”の感情も実は一言では言い表せなくて、深く大きく重いものなんだろう。
“当たり前”って存在しないものなのに私たちにとっては『当たり前』なぐらいで、依存している。
私たちって彼らを想う気持ちも重いが、求めるものもまた重い気がする。
それを飄々(ひょうひょう)と難なくこなす彼らって本当に素晴らしく、これこそアイドルと呼ぶのだろう。
深い闇は見せない。
綺麗な部分だけを。
私は、「自担には笑顔でいてくれればそれでいい」そう思って過ごしてきた。
けどそれが一番難しいことなんじゃないかと最近思う。
本当の笑顔って分からない。
もしかしたら彼らは本当のことを知ったように話さないでくれ…、!
そう思われているんじゃないかと。
心から望むことって彼らは実は全員出来ていないのではないか、と思ってしまう。
そうなると、言い方は悪いがすごく気の毒になってしまう。
ではなぜそれでも彼らはステージに立つことを望むのか。
それは自分の夢実現の為だと思う。
今心から望む、思い描くことは出来ていなくとも、未来を少しでも輝かせたものにするために。
ステージに初めて立った時からもう始まっているんだ。
彼らの旋風は。夢は。
青春は夢のために諦めたことが多いと思う。
でもまた違った青春が彼らにとって存在する。
その青春を私たちは謳歌する。
ありがたい話である。
私たちは自分の存在価値を見出せと言われてもなかなかそんなこと考えたこともなかった。から始まる。
だが、彼らは自分が今何をすべきか、どうなるべきか、をしっかり把握して実行している。
なぜその歳で私たちが見習うべき行動が出来るのか、本当に不思議である。
素晴らしい環境で彼らは育っていく。
素晴らしいといっても過酷な環境だ。
みんながみんな光るものを持っている。
その中で秀でようとするには並大抵の努力では無理である。
毎日どのような思いで彼らはレッスンや仕事をこなすのか。
アイドルってキラキラしているからその分大変で辛いプレッシャーが重くのしかかるのだろうと思う。

でも彼らの『キラキラ』は本当に眩しい。
時間を支配したかのように一瞬一瞬を虜にする。
まばたきをする暇もないくらい。
彼らの視線の先に私たちの重い想いを預けて。
その声もその指先も彼らの全てを受け入れて、そして私たちそれぞれの想いの箱へと閉じていく。

私たちの一部、どころではなく私たちの生活に色をつけてくれる、そんな感じなのだ。
彼らの思い出は昨日のことのように、いや、さっきのことのように色褪せない。綺麗なまんまである。

私たちファンには綺麗なものばかりをくれる、そんな彼らだからこそ、夢を叶えて欲しいと願い応援するのだ。

彼らの夢はいくら払っても買えない。
だが、私たちの夢は買える。
理不尽なことだが、彼らの生きる世界ってやはり厳しい。
そんな世界で戦う彼らってやっぱりかっこいい。
容姿も当たり前だが、中身から溢れるものとしてかっこいい。
アイドルのかっこよさって簡単には語れない。

自然体の姿がかっこいいってやっぱり中身から溢れるものがあるからこそだと思う。
その中身が彼らは備わっている、なんてかっこいいんだろう。
さすがである、さすがアイドルである。

 

 

夢の中にいさせてくれている。そう最初に書いたが違う気がした。
これは現実である。
現実に彼らがいて私たちはそれを感じるために、その瞬間を受け入れたいがために会いにいくのだ。
好きな人に会える幸せは一般人(非ヲタ)には分からない。
好きな人に会える楽しみも分からない。
私たちって人生得しまくっている、そう思う。
彼らのかけがえのない瞬間を、夢を、私たちは少しでも触れることができる。
その儚さは消えゆくものの儚さではなく、綺麗で落とすことができない儚さなのだ。

私たちには到底出来ないことを彼らは今現時点でやってきて、そして成し遂げようとしている。
これからもその一生懸命な姿に感動し、そして日々の生きる力にする。

そう、彼らアイドルは私たちにとって“生きがい”なのだ。

その生きがいは誰にも邪魔させない、私たちの幸せの在り方なのかもしれない。

 


いつでもいつまでもアイドルでいてくれる保証などないのだが、私たちは信じて今日も彼らに現実と夢の狭間で幸せにしてくれることに感謝する。